思いやりを自分自身へも…

自分の心、尊厳が傷つけられたとき

目には見えませんが、 

私達は心に傷を負っています。

目には見えないけれど、心やからだは敏感に反応し、

サインを送ってくれていますが、

自分自身が怪我を(心に)している状況であっても尚、

相手をどう捉えるかや相手をどう理解したら良いかということに意識を向けることを優先し続けていると、

そのサインを受け取れなくなっていたり、

いつの間にか自分のことがわからなくなってしまうことがあります。

それでも日常は流れていってもくれるし、その方が良いように思えることもあるかもしれません。

自分さえ少し我慢すれば自分さえうまくやれば…そんな気持ちとともに、

モヤモヤとしたものややるせないような気持ち疲労感や、

なんでいつも…なんで私だけ…

こんな心の声が聴こえてくるとしたら、

その声に耳を傾けてみることで私たちの前に新しい扉が現れることがあります。

心とからだからの正直な訴えは気のせいだとも思うようなほんの少しの違和感かもしれませんが、

それこそが大切なことを伝えようとしてくれているサインであることは少なくありません。

その声をまず聴くことができるのは他の誰でもない自分自身だということを、

今も毎日、自分自身の実感とともに感じています。